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元々はラジオレポが中心でしたが、ましゃ語録、 ましゃからの伝言・Messageを書き綴っていきます♪

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4/5 魂ラジ 長崎から生放送♪
◎オンエア曲
約束の丘/福山雅治
Fellow/福山雅治
桜坂/福山雅治(魂リク)



◎内容
長崎のお前ら、帰ってきたとですばい!!
今日(4/5)から始まった「PHOTO STAGE III~残響~」
ましゃは一昨日(4/3)長崎入りし、昨日(4/4)広報活動をやらせていただいたのだそうです。
写真展初日は開場前に1000人以上の長蛇の列が出来て、
入場者数はなんと3039人!!

荘ちゃん曰く、街の中は軽いパニックになっていますよ。
夜中に長崎に着いたという荘ちゃん。
お腹が空いたから何か食べようと思って歩いたけれどお店がなかったんですよ。どうしようかなと思ったらラーメン屋さんがあったのでここで食べようと思って近付いたら、前に女性が5~6人いたんですよ。写真を撮っていたから人気なのかなと思って寄っていったら、2人くらいに「荘ちゃん?」と声を掛けられ、店の中が「荘ちゃんがいる!」「荘ちゃんがいる!」ってなってガラッと入り口が開いて20人くらいに囲まれたそうです。
そのお店というのは、「思案橋ラーメン」だったそうです。

こんバーサス!長崎ふるさと大使、福山雅治です。
昨日行われた内覧会に市長の田上さんもいらっしゃっていて、「長崎を、広く日本に、そして世界各国に伝えてください」と依頼されたのだそうです。
市長さんの名刺に「長崎さるく」というキャラクターがついていて。
ましゃが「長崎さるく」について説明して下さいました。

「さるく」というのは、長崎をうろうろ歩くということを言うそうです。
長崎という街には様々な深い歴史があるわけですよ。坂本竜馬や出島。隠れキリシタンとか悲しい歴史もありますけど。開国していった歴史といった近代に向かっていくものと原爆という戦争の歴史があって、そういったものを勉強できる。それをコースに分けて、約2時間ガイドの方が案内して下さる。無料なのだそうです。市長さん自らが案内なさることもあるのだとか。
「広報大使はやらないんですか?」という荘ちゃんの質問に、「僕はガイドの資格をまだ持ってないんです」とましゃ。
近代の歴史はちょっと難しいかも知れませんけど“福山雅治の歴史”だったら案内できるんですよね。
ここで生れて、ここで育って、ここの学校に行って、ここでバンドして、ここでバイトして…そういうところをご案内できます。僕の助手席に乗ってもらって、運転しながらやりますから。
とにかく、観光というものが長崎は大事だし良いんですよ。景観もすごく綺麗だし、夜景が綺麗。
街自体の景観、歴史、名所、旧跡などを、街自体をテーマパークとして捉えて案内する人を用意したのが「長崎さるく」なのだそうです。


★軍艦島について
通称、軍艦島。正式名称は端島。
場所は長崎港から南西約19㎞の位置にある。
島の形が戦艦土佐に似ていることから軍艦島と呼ばれるようになったそうです。
島の大きさは、長さが約480m幅が約160mで小さい島なんですよ。これでも埋め立てが繰り返されていてもともとはこの半分の大きさとも言われているそうです。
ここは炭鉱島だった。明治23年に三菱が経営権を獲得し閉山の昭和49年までフル稼働。昭和16年には年間出炭最高記録約41万1100トンを達成し、その出炭率は日本の経済の発達を支えていたといっても過言ではない。大正5年には日本最初の鉄筋高層アパートが完成。それがまだ残っている。
1916年につくられたものが昭和49年に閉山されもう30年以上風雨にさらされているのにまだ建っている。ある意味、近代日本の技術力の高さの象徴でもあるわけです。この間、市から是非写真を撮ってくださいという要請があり、上陸させていただいたというましゃ。
かつては、地下にパチンコ屋さんや先頭があったそうです。最盛期には東京の人口密度の約8倍の人数が住んでいたのだとか。
当時石炭が重宝されていた時代に掘れるだけ掘って、人も集まってきて、近代的な技術がどんどんそこに入ってきて、街の形が異形のものになっていって。時代と共にエネルギー資源が変わって、重要視されるエネルギー資源が変わっていって、昭和49年には閉山になって、人がいなくなって、こういう形だけが残っているっていうのが、人間の成り立ちとか世界の成り立ちっていうものを象徴しているように思う。これが長崎にあるということを、ましゃは、長崎の誇りに思っていい場所だと思うそうです。
色んなことに思いを馳せる場所だったそうです。

上陸は出来ないけれど、今、軍艦島クルーズ「マルベージャ」というのがあります。
軍艦島沖遊覧コース、100分で一人3000円。要予約。
軍艦島をそこそこ近くで見られるそうです。


それ以外にも長崎での作品はあるそうで。
長崎で足かけ3年にわたるフォトセッションをやっていたというましゃ。
最初こういう風な写真展としてアウトプットしようと思っていたわけではなく、36歳の時に長崎を出て18年、東京で過ごして18年でこれから東京で過ごす時間の方が長くなっていく。その時間の流れの中で、これから長崎を離れて暮らしていく時間の方が長くなるのだなと思い、自分の故郷・長崎で、自分の土台を築いてくれた長崎で、ルーツや土台をもう一度確かめたかった。そういう思いを写真に残していきたいと思い始めたのだそうです。

今回、「残響」という詩を書いたというましゃ。

残響

八月のサイレン
夕暮れ路面電車
放課後の屋上ブラスバンド
旭大橋を横切る風
見知らぬ外国船の汽笛
裏通りのライブハウス
石畳を濡らす春の雨

そこにはいつも音があった
ギターを弾いて歌ってた十代の頃
その中で
知らずに心にしみこんでいた風景には
いくつかの音が刻まれていた

時代は終わり
僕も変わる
そして遠くなる
僕がいた風景

だけど故郷を想うとき
この心にはまだあの音が響いている

街の音
故郷の音
僕の音


建造物というのは壊されて変わっていくけれど、音というのは自分の中で変わらず残っている。
音というのはそもそも空気の振動なので、そこに存在しているものとしてではない。
自分が長崎という街を想う時に色んななもの絵としてだけでなく音としても残っているということで、タイトルを「残響」としたそうです。
勝子さんがベタ惚れしていたそうです。


長崎のこれを見ずして、これを知らずして、ましゃを語れないというスポットを教えて下さい。
というリスナーからのメールに対し、

まずはやっぱり稲佐山。
旭大橋。旭大橋は歩いて渡れるのでいいと思うんですよね。
楽器店は、ライブをやったのは原楽器店。本田楽器っていうのもあるのよ。そこはリハーサルスタジオで使っていた。本田楽器で犬を飼っていて、誰がやったのか分からないけれど犬に眉毛をかいたりしているわけですよ。それが愛嬌のある感じで可愛かったそうです。
通称「バス停のキミ」と言われるのは、「ロープウェイ下」というバス停。
淵神社に宝珠幼稚園っていうのがあってそこはましゃが行っていた幼稚園。あとは中学とか高校とか。
仲見世8番街はまだあるんですか?吉宗の裏あたりにあるんだけど。吉宗の茶碗蒸しうまいよ~。
それから、かにやのおにぎり。夜中までやっています。中でも食べられるしテイクアウトも出来ますよ。
あと食べ物でいえば、トルコライス。
長崎のことを知りたかったら、「ザ・ながさき」というタウン誌を読むといいのだとか。


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まり
こんにちは♪春花さん(*^o^*)/
【残響】という文字は、携帯ですぐに変換できたのですが、私の人生の中で、初めて知り、初めて使いました(^O^)v
いい言葉です♪
ましゃの作ったこの詩を文字で読むと、さらに感動しますね(;_;)
ましゃと長崎を想う日々が続いています!!
2008/04/07(月) 17:20:58 | URL | [ 編集]












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