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元々はラジオレポが中心でしたが、ましゃ語録、 ましゃからの伝言・Messageを書き綴っていきます♪

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春花

Author:春花
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4/7 魂ラジ~福山雅治版「東京タワー~ボクとラジオと時々オカン~」~
◎オンエア曲
東京にもあったんだ/福山雅治
追憶の雨の中/福山雅治
無敵のキミ/福山雅治
なごり雪/イルカ(魂リク)




◎内容
ただいま!かわいい、かわいいお前ら!

Mステを観たリスナーからのメールの紹介から始まった今夜の魂ラジ。

「どうして乳首の露出は無かったのですかか? ジャニーズJr.は、透けて見えるどころではなく丸見えだったのに!」
というメール。

関ジャニさんが歌っている時、隣が倖田さんで、
「完全に露出で負けてるじゃないですか?」とつい話しかけてしまったというましゃ。
「すみません、そこまでは出せません。」と言われてしまったそうです。
映画「愛の流刑地」の主題歌を歌う倖田さんに「映画観られたんですか?」と聞くと、観たと言う倖田さんは、「オープニングからひ○いでした!」とズバリ言っていたそうです。CM中に二人で下を話していたそうです。

「赤いシャツが似合っていました。東京タワーをイメージしたんですか?」
というメールも来ていて。

そうですよ!
スタイリストさんに「今日は何で赤なんですか?」と聞いたら「東京タワーっす!」と言われたらしい。

「こんバイクは、なんで言わなかったのか?」
それは関ジャニさんがこんばんワン・ツーと言ったらこんバイク!と返すつもりで用意していたそうです。

「テレビに慣れてきてませんか?」と荘ちゃん。

テレビに慣れたと言うかタモリさんに慣れてきたってましゃ!

「いつものような挙動不審じゃなかった。」と言われると、

まずいね~。 そりゃ~まずいね。僕はね、そうなること一番恐れてたの。キョドってたいのよ、テレビに出る時は!キョドってたいんだ!
って。

タモさんや堂真理子さんによく話題をふられていたましゃ。
あれだけボールが飛んで来ると全部ヒットという訳は、いかないね!って。
でもラジオ村だからと言って、確かにラジオとテレビのトークは違いますけど。「テレビに出た時に、ラジオとトークが違うね!」と言われるとラジオ界の人間としては名折れな訳。それは許されない訳。ラジオはラジオで違う技術が必要なの。
ボクシングの選手がK1に出てローキックを蹴られて負ける時あるでしょ。ああいう風になるのは嫌なの。
そもそもボクシングとK1は重心の掛け方が違うんですよ。
キックボクシングの重心は両足に、ボクシングは前足にかかってるの。

そういう風にラジオだけでトークが生きてて、テレビでは生きない。それが許されない。ニッポン放送代表としてね!

だからと言って慣れ過ぎても違うの。
それの一番良い所を今探してるの。
今回のMステはギリギリだったそうです。

なんでギリギリだったかって言うと、それは隣にGLAYのTERUさんがいたから。もう一人のGLAYと言われてるくらいですから!GLAYのFUKU(フク)です!

TERUさんとはジムメート。
ジムで峰竜太さんにお会いするTERUさんは、自分が峰さんに認知されているか分からず挨拶の仕方が分からないという悩みがあるの。
「福山さん、そう言う時はどうするんですか?」と聞かれ。
会釈とも、前のめりとも付かない微妙なファジーな会釈を一応した方が
良いと思う。足下のダンベルを取るように!とアドバイスしたそうです。


★今年は桜坂に行けてないというましゃ。
毎年、桜坂に行って桜坂を口ずさむのを恒例にしてたんですけど…!
東京はもう葉桜なので“葉桜坂”を歌いに行くそうです。


★仙台公演の話
仙台は乗せ上手!オトコを立てる。
盛り上げ上手は床上手!
“乗せたるぞ汁”が出てたそうです。

出席確認で岩手県を盛岡県と言ってしまったことに多数の突っ込みメール。

それが何かそんなに愉快なこと?俺は宮沢賢治が好きだ!あれは盛岡の方でしょ?それでちょっと・・。もちろん岩手県知ってますよ!ってましゃ。

東北六県全部言えるのか?と聞かれると

言えますよ!
「青森、秋田、岩手、宮城、福島、山形」とましゃが言い終わった途端、荘ちゃんが「あっ!」と。

何、それさ~。バカな子がいつも通信簿1だったのが3を取ったような!言えますよ~!ってましゃ。


★あんなに長かったアリーナツアーが来週には終わり。淋しくなって来たのでは?と荘ちゃんが振り返ろうとしてると、

楽しかった アリーナツアー
長かった アリーナツアー
かっこ良かった バーバリーのジャージ
洗って縮んだ バーバリーのジャージ

そんな気持ちです!

と小学校の卒業式風に、読み上げていました。

大笑いしながらそのままCMに入っちゃいました。


★福山雅治版「東京タワー~ボクとラジオと時々オカン~」
折からのバンドブームで音楽業界が隆盛を極めていた1990年3月21日、一人のアーティストのデビューシングルがひっそりと発売された。
そう!1987年の夏の上京から3年。東京でサバイバルするうちに色んな意味で少しだけ大人になった、それでも少年のような夢だけは失わなかった、21歳の福山雅治だった。
これは、18歳で故郷・長崎を旅立った彼が東京で「ラジオ界の国宝」と呼ばれるまでに至った、20年にわたる壮大な上京物語である。

福山雅治版「東京タワー~ボクと、ラジオと、時々オカン~」

もともとは全5話の予定でしたが、終わりません!全7話に変更!延長が決まりました~♪

88年いきなりミュージシャンではなく銀幕デビュー?

そうですね~。

でも本当はミュージシャンになりたいという夢は捨ててなかったんですよね?

そうですね。
と言うか、とにかく、大里会長に「お前、福山は映画芝居だ、役者だ」って言われて全然ピンと来なくなって。

で、どういう経緯でやっぱり音楽もやるか?って話になったの?

女性マネージャーの市毛さんが音楽やりたいならやろうかと、事務所の中で内緒でその話を進めてくれた。

どういう風に準備を進めていたの?

まずはレコード会社(BMG)の方達と一緒に進めてた。

もともと福山さんはバンドで…

うん、バンド組みたかったの。本当に
だけど、事務所入っちゃったら…。
自分達で集まってこそバンドって風に思ってたから。
事務所で用意してもらうって言うかコーディネートしてもらうって言うかね・・そういうのはすごく嫌だったんですよ。

バンドで行くかも?!っていう話はなきにしもあらずだったの?

でもまあほとんどなかった。

この時点で曲とかは作ってた?

いや、ないですよ。
作ってたけどまともには出来てないよ。例の“光化学スモッグ”とか…。

この時点では形にもなってない?

ない、ない。

で、どういう風な形で?

名前は出せないですけど、某方達とやってたんですよ。
曲作ってもらって詞を書いてみたいな作業を。
某方達もそれはオフィシャルに言ってないと思うので僕も言いませんけど。
ビックリしますよ!!本当にビックリする!

そういうこともあって、それも話がなくなり…?!

うん。まあ俺もさ、これは本当に失礼な話なんだけど。
自分で曲も書けない・詞も書けないくせに、こんなの自分のやりたいもんじゃねえ!みたいな。
しかも、一緒に住んでいる人のビールは飲むわ・エロビデオを盗んでみるわ・・。
今考えるととんでもないよねぇ。

でも自分では「何とかなるから…」っていう根拠のない自信があったんでしょ?

いや、「なんとかなるから」ってことじゃなくて。
要するにこういうことだよ。
若い時って言うのは…嫌な事は分かる、好きな事を一個決めなさいと言われたらすごい悩むんだけど嫌な事は出てくる。
定まってないくせに文句はある。ガキだよね。

で、色々考えたりした結果、当時憧れていた白浜さんのところでやってみたらどうか?という話になってARBの白浜さんにお願いして。

今は本当に周りの方にご迷惑お掛けしましたと思ってるし、本当にありがとうございましたという気持ちだけど、当時は何も分かってねえお前ら!みたいな勢いだったからね~これは「生意気」を超えて「バカ」だよね~(笑)バカでエロでパチンコみたいな!(笑)

「追憶の雨の中」って曲の事は覚えてる?

俺は白浜さんってすごいなって今でも思ってるし感謝してるし。
白浜さんって本当にすごいなって思ったのは
「何でもいいから、福山お前書いて来いよ!」って言ってくれて。
それまでは与えられたものをやるだけだったけど
白浜さんは「だったらやってみな」って。
それは優しさでもあり厳しさでもあったと思う。
「じゃあ何でもいいから書いてきて」って言われて俺は嬉しかったのと同時にすごい厳しいお題を叩きつけられたなと思って。
たいして何も思ってなかったけどとにかく書き始めて、どうせダメだと思ったんだけど、白浜さんは「あっ、結構いいじゃん。それをもとにこれを膨らまして1個の詞にしてみるから、福山それ見てもらって自分がこうしたいのがいいって言うのがあったらまた言ってきて」って言ってくれたの。
それってさ、本当に僕にとっては蜘蛛の糸じゃないけど神の手じゃないけど、救いの手に見えたし、実際救いの手だったんだけど。

そこで、初めて知ったんだよね。
自分が本当にやりたいことは何か?ってことと、自分の出来ること、自分の身の程と、自分の感じているものを書くことの喜びと怖さを同時に知る訳よ。
書けるって言うのは嬉しいんだけど、書いたら今度は自分の判断・批判・評価ってものをされる訳だから、ダメって言われるものはダメなの。それはあーじゃねえ、こーじゃねえ、俺がやりたいことじゃないからとは言えない。
そういう、表現っていうものの楽しさと厳しさに同時に引き込んでくれたのが白浜さんだったの。

で、アルバム作成に入って。
だけど当時キーの設定・音階の設定って言うのが全然分からなかったの。
白浜さんは「これくらいで大丈夫ね」ってトップがGだったの。
俺、トップがEなの、大体。それがせいぜい。
でも俺もバカなくせに負けん気だけはあったから、「行けますよ!行けますよ!」とか言ってばんばん歌ってたの。本当は出ないくせに。
そしたら、声帯ポリープになっちゃって入院しちゃったの。
デビューもしてないくせに。
ポリープ切ったら、歌えるまでには最低3ヶ月かかるの。
だけど、人間やっぱり一回手術してリハビリとかすると怖くて。それを克服するのに1年くらいかかったんだよね。

今となっては、その経験はよかったの?

多分生きてるとは思うよ。
だからこそ、デビュー当時から喉のケアには気を付けてたから。

入院している間は色んなことを考えるでしょ?

つーかさぁ、考えてごらん。
一緒に住んでる人のエロビデオを勝手に見たり、勝手にビール飲んだり酒飲んだり、人の電話勝手に使ったりして、電気代も払わないような奴。しかも、せっかく用意してくれた、すごく優秀な、素晴らしい才能を持ったアーティスト達が用意してくれた楽曲にこれは俺のやりたいことじゃないと文句を言う。じゃあお前がやりたいのは何だ?と白浜さんに手伝ってもらって、白浜さんがクリエイティブな活動に導いてくれて。にも関わらず、ただの負けん気と意地っ張りでポリープになって手術までして…。
これ冷静に考えたらクビだよね!!!

なんか何もかも上手くいってないからダメなんだなぁとは思ってた。
結局、運がないんだなぁと言う風には思ってたと思う。

それでも白浜さんは最後まで付き合ってくれて。

1stアルバムは本当にほとんど声出てなくて自分のキーに合ってない曲ばっか歌ってて今でも苦痛なんだよね。

アルバム「伝言」のレコーディングが終わって
でもシングルっぽい曲ってないねって話になって作ったのが「追憶の雨の中」。

で、CDデビューの日は?

引っ越ししてた。
俺は3月21日のスケジュールが空いてるからスタッフが騙して何かパーティーでもしてくれるのかな?と思ってたら、本当に何にもなかった、空だった。
とにかく引越ししてたのは覚えてる。アミューズの2トン車を借りて。
荷物が布団のセットと小さなテレビとギター!

今まで居心地良かったんでしょ?何で引っ越したの?

給料が上がったんだよ!
今まで8万円だったのがほぼ倍の15万円に。

ポロモーションビデオも作成し?

自腹でね。
ノーメイク、ノースタイリスト、ノーヘアメイクだもん!


ここで
「本当にありがとう!全てにありがとう、協力してくれたスタッフ!応援してくれたスタッフ!」
と言って追憶の雨の中を流してくれました♪


★4月11日どうしよっか、彰久?
俺と貴方で新宿、渋谷、池袋辺りで手売りするか?
貴方がきみまろさんみたいに面白い話をして俺がみかん箱の上で「東京にもあったんだ」を歌ってる…みたいな(笑)
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